はっぴぃ分布仮説

<はっぴぃ分布仮説とは>

時間の本質を追究する工学的時間論と確率論をベースに、
みんながしあわせになる方法を理論的(数学的)に解明して生まれた仮説系。数学の公理系と同じく、証明不能の3仮説と、その仮説から論理的に導出される9つの法則から構成される。

<はっぴぃ分布仮説 Ver2.6>

勝呂隆男

 原理は人類の現時点における世界認識の到達点と考えるものである。仮説は筆者の直観によるものであるが、もしこの仮説が成り立つならば9つの法則が論理的に導出される。仮説を受け入れて、そこから導出される法則に従ってみようかなという人が現れて、他者の幸せを願うひとが増え、世界のはっぴぃ総量が少しでも増したら、とてもはっぴぃなことだと思う。

<科学からの原理>世界は確率現象から成り立っており、その全事象は確率分布で表される。
<哲学からの原理>時間は鼓動である。時間は空間の延長に考えるものではなく、世界の構成要素のひとつひとつが刻んでいる鼓動の回数をカウントすることで、その長さと速さが測られるようなものである。
<宗教からの原理>いのちはつながっている。

<確率分布仮説>生命は動的に変化する固有のはっぴぃ分布をもち、これにより幸せなことが起こる確率が決まる。
<美の仮説>心に、美のイメージを抱くと自分のはっぴぃ分布は良化される。逆のイメージを抱くとはっぴぃ分布は悪化する。
<影響力仮説>誰でも、心に願うことで他者のはっぴぃ分布に影響を及ぼす力を持っており、その力の大きさはその人が他者から受けている影響力の総和に比例する。

<スキ!の法則>
⑩ 好きな人の幸せを願うと自分も幸せになる。
⑪ 好きなコト・モノを考えたり行ったりすると幸せになる。
⑫ 笑顔・感謝は幸せを生み出す。
<心の自由の法則>
⑬ 心は自由なので、どんな姿であっても、ありのままの自分を認めてよい。また、他者に対しても自由を認めよう。
⑭ この世に、こうでなくちゃならない、ということはない。ねばならない、こうあるべき、にしばられる必要はない。
<スルーの法則>
⑮ あわないヒト・モノ・コトはスルーするにとどめておき、お互いを尊重し合おう。
⑯ 自分を攻撃してくる敵に対しても、無視することでスルーするのが一番である。
<今が大切!の法則>
⑰ 確かに存在するのは‘今’だけであり、過去は記憶・記録の中に、未来は想像・予測のなかにしか存在しないものであるから、今を大切にしよう。
<法則の法則>
⑱ はっぴぃ分布の法則を考えること自体ではっぴぃになる。
《はっぴぃ分布仮説・解説》

【原理】
<科学からの原理>世界は確率現象から成り立っており、その全事象は確率分布で表される。
<哲学からの原理>時間は鼓動である。時間は空間の延長に考えるものではなく、世界の構成要素のひとつひとつが刻んでいる鼓動の回数をカウントすることで、その長さが測られるようなものである。
<宗教からの原理>いのちはつながっている。

科学、哲学、宗教のそれぞれの分野から得られる世界認識を原点にもってきた。
科学から得られる原理は、確率論的世界観である。量子力学で示された不確定性原理を拠り所とする世界観である。この考え方によれば決定論的世界観は否定され、自由意志が存在する余地が残される。このような確率論的世界観から、ひとの運の良し悪しを確率分布でとらえる確率分布仮説が導かれる。
哲学から得られる原理は、時間論である。アインシュタイン的時空論を否定する時間論を同時代の哲学者ベルクソンが著している。3次元空間に追加される4次元目の座標軸として時間を想定するような考え方を明確に否定し、空間の延長に時間を考えてはならないことを示すものである。この考え方と時間が離散量であることの発見を基にする時間論を展開したものが、筆者による工学的時間論である。物質も生命も世界の構成要素のひとつひとつは、固有の振動・鼓動を有しており、その回数をカウントすることで時間の長さが測定されることを示している。そして、時間の進む速さは相対的なものであり、みずからの鼓動間隔の間に測定対象の鼓動が何回カウントされたかで、その速さが測定されるものである。振動・鼓動が時間の本質であるとする、この考え方によれば、アインシュタイン的時空論から導かれるような、過去・現在・未来が‘同時に’存在するような矛盾は回避される。そして、確かに存在するのは‘今現在’のみであることが理解され、今を大切にしようという思想につながる。更に、(飛躍ではあるが)美を感じるということは、対象の振動・鼓動と自身の振動・鼓動の共振現象であるとする考え方に発展し、美のイメージではっぴぃ分布が良化されるとする美の仮説が導かれる。
宗教から得られる原理は、いのちはつながっているとする絆の考え方である。自然界の物質循環から導かれるような輪廻の考え方にはじまり、仏教の唯識論やユングの共同無意識論のような世界観からはわれわれは常につながっているのだという理解が導かれる。他者のはっぴぃ分布に影響力を及ぼす力を認める影響力仮説の根拠は、このつながっているという世界観である。

【仮説】
<確率分布仮説>生命は動的に変化する固有のはっぴぃ分布をもち、これにより幸せなことが起こる確率が決まる。
<美の仮説>心に、美のイメージを抱くと自分のはっぴぃ分布は良化される。逆のイメージを抱くとはっぴぃ分布は悪化する。
<影響力仮説>誰でも、心に願うことで他者のはっぴぃ分布に影響を及ぼす力を持っており、その力の大きさはその人が他者から受けている影響力の総和に比例する。

 我々は運の良し悪しがあることを経験的に知っている。運の良い人は確かにいるし、悪い人もいる。運の良い時と悪い時もある。このことを、確率論的に説明しようとするのが、確率分布仮説のはっぴぃ分布である。横軸に幸運/不運度合をとり、縦軸にそれぞれの度合いの幸不幸現象が起こる確率をとった確率分布を考えてほしい。モノに運不運はないから、生命には固有のはっぴぃ分布があるのだと考える。しかも、生まれてから常に一定ではなく、動的に変動するものである。環境変化で変動するのかもしれないし、自身の行いの結果として変動するのかもしれないものとしている。
 こころを清々しい良い状態に保っていると運気は良化され、邪悪なことで満たされていると運も悪くなることは経験的に納得できるだろう。美の仮説がそれである。こころの良い状態/悪い状態を突き詰めて考察した結果、美のイメージという考え方に到達した。良い/悪いには主観が入ってくるが、美は絶対的な尺度となりうる。美しい自然や芸術をみていると、こころは浄化されて良い状態になる。清らかな心は美しい心である。また、美を感じる時に対象との間に共振が起こっているのだと考えると、振動・鼓動が時間の本質であること(哲学からの原理)と、美を感じるのが生命であることから、美と時間と生命の間には何か本質的な関係性があることが想像される。
 他者のはっぴぃ分布への影響力に言及した影響力仮説は、我々が何か目に見えないものでつながっているという宗教からの原理に根拠をおいている。自分の運気を自分の力だけでは変えられないという経験はだれでもあるし、人から好かれる人気者が幸運に恵まれることが多いことも、なんとなく納得がいくことである。そんな経験から、自分のはっぴぃ分布に直接影響力を及ぼすことはできないが、他者のはっぴぃ分布に影響力を及ぼすことはできるという仮説が生まれた。そして、この影響力仮説により、はっぴぃ分布仮説全体が利他的な原理を示すものになっている。

【法則】
<スキ!の法則>
① 好きな人の幸せを願うと自分も幸せになる。
② 好きなコト・モノを考えたり行ったりすると幸せになる。
③ 笑顔・感謝は幸せを生み出す。

「好き」という気持ちは他のなによりも優先すべき真実である。
 好きな人の幸せを願うと、好きな人の幸せなイメージ(=よいイメージ)が心に描かれる。すると美の仮説により自分のはっぴぃ分布が良化され、確率分布仮説により自分が幸せになる確率が高まる。また、影響力仮説により好きな人のはっぴぃ分布がよくなり、かつその人の影響力が増す。すると、(好意をいだく相手からは好意をいだかれる可能性が高いので)まわりまわって、好きな人からの影響力が自分のはっぴぃ分布を良化してくれる確率が高まる。
 「好き」という気持ちは真実である。他のなにものにも優る真実である。もし、好きという気持ちと対立をおこしたり、好きという気持ちに起因して葛藤が生じたりしたら、その葛藤の前提となる規範や習慣をこそ疑うべきである。例えば、同時に二人の人を好きになってしまって悩むことは、「ひとりしか好きになってはいけない」という暗黙の規範に縛られて起こる葛藤であるから、その規範の方こそが間違っていることになる。概ね、社会規範というのは多数の利益を実現するために設定されたルールであることが多いので、社会生活を円滑にすすめるためにルールに従うことは大切ではあるが、規範から外れる自分の気持ちを責めたり罪悪感を抱く必要はない。
 誰を好きになってもいい、何人好きになってもいいという考え方。人を好きになることに制限を設けないことにより、世界のはっぴぃ総量に上限がないことが導かれる。好きな人との間で、幸せを願う気持ちの循環ループが生まれると、はっぴぃの自己増殖がはじまる。誰かの幸せ量の増加分と、他の誰かの幸せ量の減少量が一致するゼロ・サム世界ではなく、金融の世界における信用創造ならぬ、はっぴぃ創造を誰でもできる世界であることが理解できよう。
だから、もしあなたに決まったパートナーがいるなら、パートナーの幸せを願うことは、自分を幸せにする一番の近道である。はっぴぃ増加の循環サイクルがはじまるからである。
 人ではなく、好きなコトでもモノでもいい。考えるだけでも、更に実際に行動に移してみればいっそう幸せになる。好きなコトやモノを考えたり行ったりすれば、楽しい気分になり、こころの中に美のイメージが抱かれるので、美の仮説によりはっぴぃ分布は良化される。
 好きな人・モノ・コトを思い浮かべると自然に笑顔になる。笑顔を浮かべるといっそう幸福感が増す。好きな人の笑顔を想像するだけで幸せになる。そして、うれしいことがあると感謝の気持ちで満たされる。感謝の気持ちを表すと幸せな気持ちになる。笑顔と感謝の気持ちは、自分自身だけでなく相手や周囲の人々も幸せにしてくれる。

<心の自由の法則>
④ 心は自由なので、どんな姿であっても、ありのままの自分を認めてよい。また、他者に対しても自由を認めよう。いろいろな人を認める多様性の理解が大切である。
⑤ この世に、こうでなくちゃならない、ということはない。ねばならない、こうあるべき、にしばられる必要はない。

ひとの心をしばることはできないことなので、ひとの心をしばろうとしてはならない。
 科学からの原理より、ひとの心も確率現象であるから、なにびともそれを拘束することはできない。原理的に不可能なことである。原理的に不可能なことを実現しようとする努力は報われないだけでなく、自分を消耗させ、傷つけることになる。
 好きなひとの心を独占したいと思うことを考えてみる。原理的に不可能なことであるから、完全な実現を得られないことで自分自身が傷つき不幸になるばかりでなく、相手の自由を奪おうとすることは好きなひとの幸せを願うことに反することになり、美の仮説より自分のはっぴぃ分布を悪化させることになる。
 自分自身のこころの自由を自ら認めると同時に、他者の自由も認めよう。そしてそれは、いろいろな人を認める多様性への理解となる。
 現実の社会生活において、物理的・身体的な自由を奪われることはあるが、自分の心の自由は誰にも奪うことはできないという自信をもって生きたほうがいい。

<スルーの法則>
⑥ あわないヒト・モノ・コトはスルーするにとどめておき、お互いを尊重し合おう。
⑦ 自分を攻撃してくる敵に対しても、無視することでスルーするのが一番である。

 世界は不条理に満ちている。正義を必ず勝たせて悪を懲らしめてくれる神はいない。科学からの原理に示されるように、世界は確率現象から成り立っており、道理に合わないことや理不尽なことも一定の確率で起こるのである。でも、そんな世界をそのまま認めて、そんな世界だからこそ時々うれしいことがあると幸せになれるのだと考えよう。
もし不条理なこと、いやなことが起こったら、スルーするのがいちばんである。
自分と合わない人はいる。自分を攻撃してくる敵もいる。でも、それをむやみに攻撃して退治してしまおうだとか、追い出してしまおうとかするよりも、心の中からその存在を消し去って避ける、つまりスルーするようにしたほうがいい。
 戦いや攻撃による相手の不幸な状態をイメージすると、美の仮説より自分のはっぴぃ分布が悪化する。悪意をいだけば影響力仮説により相手の影響力の増強に結びつく。まわりまわって自分のはっぴぃ分布の悪化につながり、自らの不幸を招く結果となる可能性が高いからである。
 逆に、自分が他者から憎まれたり妬まれたりしていても、悲観することはない。多くの確率分布は対称性をもっているので、あなたに好意を持つ人と逆の人は、同数になるからである。また、誰かからマイナスの影響力を及ぼされても、そのことで自分自身の影響力は強化されるので、悪いことばかりではないからである。

<今が大切!の法則>
⑧ 確かに存在するのは‘今’だけであり、過去は記憶・記録の中に、未来は想像・予測の中にしか存在しないものであるから、今を大切にしよう。

 哲学からの原理により、時間とは鼓動であり、たしかに存在するのは今現在だけであることが理解される。過去は記憶・記録の中にしか存在しない。未来も想像・予測の中にしか存在しない。記憶・記録も想像・未来も今現在の心の中にあるものであるから、確かな存在は今現在だけなのである。だから、今を大切にしよう。過去にこだわりすぎてクヨクヨするよりも、今を楽しく生きよう。将来・未来への心配から萎縮するよりも、今を楽しく生きよう。明るい未来を想像していれば、美の仮説により幸せが訪れる。

<法則の法則>
⑨ はっぴぃ分布の法則を考えること自体ではっぴぃになる。

 これは、はっぴぃ分布プロジェクトメンバーの経験的真実である。みんなではっぴぃ分布の法則について、あぁでもない、こうでもない、と考えていたらとても幸せな気分になった。さぁ、あなたも試してみよう。いっしょに、はっぴぃ分布の法則をつくっていこう。

以上(Ver1.0 2009/11/23, Ver1.3 12/22, Ver1.4 2011/1/4, Ver1.5 1/10, Ver1.6 1/11, Ver1.7 2/11, Ver2.0 5/4, Ver2.1 6/4 Ver2.2 6/21 Ver2.3 6/29 Ver2.4 8/24 Ver2.5 9/2 Ver2.6 2012/2/19)

Note

1.はっぴぃ分布仮説は、ふとした思いつきから生まれた仮説です。このような仮説があるということを知った人が、なにかのきっかけで、ふと誰かのはっぴぃ分布をよくしてあげようかなと思うと、ちょっとだけ誰かの幸せが増えて、、、、とめぐりめぐって世の中が明るくなったらいいな、という願いを込めて、みんなで仮説を完成させながら広めていけたらと思っています。

2.この仮説は、原理と仮説および、これらから論理的に導出される9つの法則から構成される。これらと経験的な知見とを組み合わせて、さらに様々な法則が生み出されることを期待している。

3.科学からの原理は、量子力学、不確定性原理、超ひも理論など現代物理学の知見とも一致する見解です。(参考資料の『不確定性原理』、『シュレーディンガーの猫』の項を参照のこと)

4.はっぴぃ分布仮説の本質的特徴は、証明されている命題あるいは事実と、証明されていないけれど正しいと思われる仮説とを、明確に分離しているところにある。その点で、すぐれて数学的といえるかもしれない。数学では、証明不能の公理と他から導出される定理とを明確に分離しており、あらゆる系には証明不能な公理が残ることが証明されている。 
およそ、宗教でも、あるいは科学でさえも、どこまでが論理的に証明されていることで、どこからが信じなくてはならない仮説なのかを明確にしていなかったように思える。多くの場合、その境界があいまいにされて提示され、全部が正しい事実であるような装いをしている。そのために、全てを丸呑みにして信じるか、あるいはうさんくさいものとして避けるか、不信感をつのらせることになる。
 本仮説における、『原理』には人類が到達している最先端の知から得られる真理をもってきている。あらゆる事象が確率分布によって表現されるという考え方は、物理学の不確定性原理から導かれ、量子力学や超ひも理論の知見とも一致する思想である。
『仮説』には、経験的に正しそうだけれども科学的な証明がなされていない命題をあげている。確率分布仮説で言っていることは、ひらたく言うと『ひとによって運がいいとか悪いとか差があり、どうもその人固有の傾向がある』ということである。これを数学の言葉で言うとこのような表現になるのである。
 『法則』は、原理・仮説と他の法則から論理的に導出される命題をいう。経験的な確からしさの検証も経ている。
 3つの原理・3つの仮説・9つの法則までが、はっぴぃ分布仮説の範囲である。これら複数の命題から論理的に導出され、経験により検証された命題は、『法則』として示される。この部分は、これから、このプロジェクトに参加する方々との共同作業で増築していきたいと考えている。小生の経験からいって、はっぴぃ分布について考えることはとても楽しいことであり、人をはっぴぃにしてくれる。

参考資料

1.不確定性原理
不確定性原理(ふかくていせいげんり、独: Unschärferelation 英語:Uncertainty principle)とは、ある2つの物理量の組み合わせにおいては、測定値にばらつきを持たせずに2つの物理量を測定することはできない、という理論のことである。
例として、ハイゼンベルクが行った思考実験、つまり量子力学で記述される粒子の位置と運動量について考えることにする。この粒子の位置を正確に測ろうとするほど対象の運動量が正確に測れなくなり、運動量を正確に測ろうとすれば逆に位置があいまいになってしまい、両者の値を同時に完全に正確に測る事は絶対に出来ない。なぜなら、位置をより正確に観測する為にはより正確に「見る」必要があるが、極微の世界でより正確に見る為には、波長の短い光が必要であり、波長の短い光はエネルギーが大きいので観測対象へ与える影響が大きくなる為、観測対象の運動量へ影響を与えてしまうからである。(Wikipediaより)

2.シュレーディンガーの猫
「シュレーディンガーの猫」は、思考実験の名称である。まず、蓋のある箱を用意して、この中に猫を一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。
この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。そして、アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出される。このとき、例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50%だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。
我々は経験上、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という二つの状態を認識することができるが、このような重なりあった状態を認識することはない。
この思考実験は、ノイマン-ウィグナー理論に対する批判として、シュレーディンガーによって提出された[2]。まず、量子力学の確率解釈を容易な方法で巨視的な実験系にすることができることを示し、そこから得られる結論の異常さを示して批判したのである。シュレーディンガーは、これをパラドックスと呼んだ。現在では「シュレーディンガーの猫」のような巨視的に量子力学の効果が現れる実験系が知られており、「シュレーディンガーの猫」は量子力学が引き起こす奇妙な現象を説明する際の例示に用いられる。(Wikipediaより)

3.踊り=バレエのもつ意味について

「未知の贈りもの」(ライアル・ワトソン著 ちくま文庫)より
...このすばらしいシステムの中で真に魅惑的で衝撃的なことは、われわれひとりひとりの中に「イカ的なるもの」がある、ということである。
 われわれは地球の目であり、耳であり、われわれの考えることは地球的思考である。(P.42)

 科学の文法もその目標も、ある種の真理とは相容れない。まったく客観的な常識にとっては不思議すぎる現実のレベルも存在するし、まして科学的方法のみを駆使しても知り得ないものも存在するのである。
 折りたたまれているものの存在をいかにして確認すればいいのか。科学技術の正確な言葉では容易に描写できない経験をどのようにして立証すればいいのか。
 私は少なくともひとつの方法をインドネシアでおぼえた。
 踊ることをおぼえたのである。(P.51)
...
 彼女がティアだった。そしてここは「ヌス・タリアン(踊る島)」だったのである。(P.56)

4.制限バルブ説

他者のはっぴぃ分布への影響力を行使できること=皆つながっていることの根拠?

「知覚の扉」(オルダス・ハクスリー著 平凡社ライブラリー)より
...このときの体験を考察してみると、著名なケンブリッジ大学の哲学者C・Dブロード博士の意見に賛同することになるようだ――「ベルクソンが記憶と感覚知覚に関して提唱したような理論をわれわれは今までの傾向を放れてもっと真剣に考慮した方がよいのではなかろうか。ベルクソンの示唆は脳や神経系それに感覚器官の機能は主として除去作用的であって生産作用的ではないということである。人間は誰でもまたどの瞬間においても自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる。脳および神経系の機能は、ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが圧し潰され混乱を生まないように守ることであり、放っておくとわれわれが時々刻々に知覚したり記憶したりしてしまうものの大部分を閉めだし、僅かな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである」。このような理論によると、われわれは誰もが潜在的には<遍在精神 Mind at Large>なのである。(P.26)